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武蔵大学社会学部メディア社会学科2年次:メディア社会学方法論・松谷ゼミによる年刊ウェブマガジン

労働者は斯く語りき──労働者の語るホンネ

written by 木間瀬 玲央[edited by 松本 祐太郎]

 先日、このようなニュースを目にした。

「JR東労組、2万9千人が脱退」(日本経済新聞電子版2018年4月21日付)

 その内容は、JR東日本労働組合が、ベアアップを求める運動を実施すると組合員に通告したところ、脱退者が相次いだ、といったものだ。

 私はこのニュースを見て驚きを感じた。労働運動は待遇改善を訴える上で大事なことだ。しかし、このニュースは労働者がそれを拒否したからだ。では、一体なぜ拒否をしたのだろうか。それを探るべく、労働運動について聞いた。

日本と海外の大きな差 

 まず、基礎的な知識を押さえておく。最初は「労働者」とはなにか、である。

 「労働者」と聞いたらたいていは、働いてお金を稼いでいる人、と考えるだろう。文化的に見ればそれで正しい。だが、法的に「労働者」は定義されている。労働基準法の第9条で「『労働者』とは、職業の種類を問わず、事業又は事務所(略)に使用される者で、賃金を支払われる者」とされている。簡単に説明すると、会社に勤めてお金をもらっている人が「労働者」である。法律の内容も、一般的に考えられている「労働者」と同じなのだ。

 しかしそこは法律、もっとこと細かに定義している。そのキーワードが「使用従属性」という聞きなれないものだ。これは条文にでてくる、「使用される者」、「賃金を支払われる者」と二つの言葉を合わせたものだ。簡単に説明すると、ちゃんと設備のある会社の下で働いていて、その対価として生活費となるお金をもらっているか、というものだ。このようなことを総合的に見て、法律は「労働者」かどうか判断している。

 次に、日本における労働運動の歴史や現状を押さえておこう。日本における歴史は意外に古く、1886年まで遡る。この年、山梨県甲府市の雨宮製糸場の女工100名あまりが、待遇改善を要求してストライキをしたのだ。これをきっかけとし、日本の労働運動の歴史が始まった。

 20世紀に入ると、労働運動は火山の噴火のような激しさを見せた。特に戦前から戦中にかけて、造船所などの重工業系の企業で労働運動が多発した(*1。しかし大半が失敗、または軍により鎮圧されており、過酷を極めたものであった。

 だが戦争が終わり、国の抑圧がなくなった1946年には、実に662件の労働運動がおき、51万人ものひとびとが参加した(*2。まさに戦前のうっぷんを晴らすがごとくの勢いだ。その後も発生件数は雪だるま式に増えていき、1974年には、実に5197件も生じた。労働者の数も膨大で、362万人が参加した(*3)。

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比較対象の英米の労働運動発生件数及び人数に半日以下が含まれていないため、半日以下を含めず。

 しかし、この年を境に急速に鈍化していき、2016年には31件までに減少してしまった。

 このように日本では労働運動が減少してしまったが、海外ではどうなのだろうか。実は、その減少は世界的な傾向だ。

 たとえば、世界1位の経済大国であるアメリカでは、意外にも発生件数は日本よりも少なく、2016年にはたった15件にとどまる(*4)。また2016年以前も日本より少ない。

 しかし、参加人数は日本より多い。日本の2016年の労働運動発生件数は31件であるが、参加人数は2383人であり一件あたりの平均は76人だった。一方アメリカは、15件の労働運動において9万9000人と多く、一件あたりでは平均6600人と、日本の約86倍の労働者が参加している。

 なぜ、日本とアメリカにおいてこれほど参加人数に開きがあるかというと、日本の労働組合は企業別に組織されるのに対し、アメリカでは職能別や産業別に組合が組織されるからだ。運動に企業を超えた多くの組合員が参加するために、必然的に参加人数が多くなる。

 次に労働運動発祥の地であるイギリスを見てみよう。

 最初の運動は日本より75年早い、1811年に発生した。ラッダイト運動と呼ばれるものだ。産業革命が急速に進む当時、女性や子どもの劣悪な環境での労働が問題視され、その改善を訴えたものだ。このときは政府の弾圧を受けて失敗したが、労働運動という概念をひとびとに植えつけた。

 そして、その後も数多くの労働運動が発生し、1970年代には年平均2000件にものぼった。だが発生件数は減少しており、2016年現在では101件しかない(*5)。

 しかし、イギリスもストライキの規模大きい。たとえば、2011年には待遇改善を訴えて、公務員が大規模な労働運動を展開した。なんと、そのときは153万ものひとびとが参加した。この数は神戸市の人口とほぼ同じだ。100万を超える労働者が参加する運動は日本では1976年のJC集中決戦での135万人以降一度もない(*6)。

 このように、イギリスでは労働者は必要であれば運動し、けっして否定しないのだ。

 欧米と日本の違いはここにある。それを踏まえれば、今回日本で起きた、労働運動を否定して組合員が大量脱退した出来事はとても異質なものに見える。

 では、なぜ日本でそのようなことが起きたのか。これは、日本では労働者の運動に対する考えが変化しているとしか考えられないのではないか。そこで私は実際に、某グループ傘下の企業の4人の労働者と会社側である役員に労働運動に対する考えを聞いた。

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あくまでも「お客様第一」

「面倒くさいから関わりたくない」とA氏(30代女性)は語った。

「個人の自由だからやるのは構わないが、その人のせいでお客様や会社側から悪く思われるので、ふざけるなと思う」

 労働運動は達成するために多くの時間をかける上に、組合から行動を制限される、さらに会社を利用する顧客に迷惑をかける。そのことを考えれば面倒くさいと思うのは、うなずくことができる話だ。

「歴史でしか見ていないが、あれだけ混乱をおこした労働運動がいまだに日本で31件もおこっていることに驚いた」

 こう話したのは、B氏(20代男性)だ。彼は労働運動をする意味に疑問を持っていた。

「正直、こういったことはお客様からしたら迷惑だし、労使交渉もあるからメリットが少ないと思う。自分だったら絶対にしない」

 たしかに労働運動は混乱を巻き起こしてきた。鉄道会社がたびたびストライキをして、利用客の通勤や通学に支障をきたしたり、交通機関が停止したため試合やイベントが中止になったりすることがあった。そのため運動に対する疑問が生じ、現在まで続いているように思える。

 だが、3人目のC氏(30代男性)は少し違った。

「よっぽど待遇がひどくて、運動をしないと会社側が動かないならやる」と労働運動を否定的に見ていなかった。しかし──

「だけど、運動をするときは、昔のように自分たちのことだけを考えるだけでなく、お客様のことを考えてする必要がある」と、あくまで「お客様第一」の姿勢は崩さなかった。

 ここにきて私は、労働運動に対する考え方がどう変化したのか見えた。3人とも客のことを考えていたのだ。周りを見ないで自分たちの要求を通す考えから、他者の、さらにいえば、客のことを考えるというものに変化していたのだ。

 D氏(40代男性)は「今回のJR東日本のようなことが起きたら、僕もやめていると思う」と語る。

「へたに運動をしたら、ご利用してくださるお客様に迷惑がかかる。だから、安易にするのはちょっと違うと思う」と、やはり顧客のことを第一に考えていた。

 逆に会社側はどう考えているのか聞いた。

「労働運動は労働三法によって認められているが、行使については慎重にならなければならないし、乱用してはいけない」と、役員のE氏(50代男性)は語る。

 さらに、「あくまで、待遇改善を訴える手段であるのに、労働運動をすること自体が目的と化していることがある」と手段と目的のすり替えを指摘した。

「今回のJR東日本の件も、待遇は悪くないのに労働運動を起こそうとしたものであり、まさしく手段が目的化してしまった事例だと思う」

 たしかに、今回のJR東日本の出来事は、高給取りがさらに高給を要求したという批判がある。それを思えば、JR東労組は労働運動を起こすことを目的にしていたように見える。なので、手段が目的化してると感じた組合員たちが、大量に離脱したのではないだろうか。

「それに忘れてはいけないことが、あくまで労働運動は最後の切り札であるということです」と、E氏はその存在価値について言及した。

 労使交渉は、組合と会社が賃金や労働時間、雇用の維持などについて話し合うことだ。ここで交渉が決裂したときに、最後の手段としてストライキなどの運動を起こすことが一般的だ。

「そのことを考えていなかったために、昔は頻繁にストライキが起きていたのだと思う」と、運動が頻発していた理由について考察していた。それに嫌気がさして、考え方が変化したと考えることができる。

「そして一番大事なことがお客様のことです」と言う。

「労働運動のことばかり考えすぎて、絶対にお客様をないがしろにしてはいけません。たとえ労働運動が成功して待遇がよくなっても失われたお客様の信頼は返ってこない。そのほうが結局重大な損失を被ることになる実際、労働運動を乱用してお客様の信頼が損なわれた国鉄の例もある」

 たしかに、国鉄ではあまりにストライキをしたために、乗客が上尾事件(1973年3月13日)や首都圏国電暴動(1973年4月24日)を起こした。それほど、怒りが大きかったのだ。

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 最近では日本の労働運動の状況を嘆いて、もっと運動をしろといった声も耳にする。しかし、この意見にE氏は苦言を呈した。

「労働運動は誰かに命令されてやるものでないし、やるやらないは各々の自由です。しかし、自分たちのことだけを考えて行うことは、言い方は悪いかもしれないがただの暴動となってしまう。『もっと運動をしろ』という意見は、わかっていないような気がする」

 誰かにやれと言われてやるのは、そもそも労働運動のあり方に反している。さらに、顧客のある程度の理解がなければ意味がないものとなってしまうのだ。

 また、労働者側からも苦言が相次いだ。

「労働運動をもっとしろという意見を言っている人は、待遇の改善を望んでいるというより、運動が起こること自体を望んでいるように思える」(A氏)

「労働運動が多ければ多いほど立派みたいな、数を重視しているようにしか思えない」(B氏)

「大事なのは数じゃなくて内容。中身が薄いものが多くてもなにも意味はないと思う」(C氏)

「労働運動が少ないことは、裏を返せば、待遇が改善されてお客様のことを考えている企業が多いことの証明になると思う。だから、多いのが必ずしもいいことではない」(D氏)

 まさに彼らが語ったことは、労働運動は目的ではなく手段であり、大事なのは運動を起こすことや数が多いことではなくその内容と顧客のことを第一に考えることであった。この考えが、運動減少の理由なのだろうかと思った。

隠されていたホンネ

 しかし、実は一つ気になることがあった。それはD氏が、「お客様に迷惑がかかる」と話す前に「へたに運動に参加して、会社から目をつけられたくない」と言っていたことだ。

 たしかに労働運動は会社に反抗することであり、行えば会社からあまりいい印象を持たれなくなる可能性もある。そう考えると、実は客が第一の考えはタテマエで、会社から目をつけられたくない気持ちが、ホンネではないだろうか。そこでさらに踏み込んで、話を聞いてみた。

 そうしたらA氏が、こう話した。

「お客様第一は嘘ではないが、本当は会社から睨まれたくないほうが理由として大きい。会社から睨まれたら、昇進は出来なくなるし最悪、人事異動で左遷されるかもしれない。ほとんどの人は、私と同じように考えていると思う」

 まさしくこれが、ホンネなのだ。会社から睨まれたら、立場が危うくなるのではないか。このような考えが芽生えたからこそ、労働運動が減少したのではないだろうか。

 同様にB氏も話した。

「お客様のためにやらないと話したが、本当は会社から睨まれたくない。もちろんお客様のことを考えているが、それが一番の理由というわけではない」

 と、やはり会社からの目を気にしていた。さらに客が第一はタテマエであったことがわかった。

 そしてC氏は「前にも話したが、本当に待遇改善してもらわないと生活が厳しくなるなら運動をするが、普通は絶対しない。お客様のためといったけど、本当は自分の会社での生活のためもある」と話した。最初は客のためと語ったが、実はそれはホンネではなく会社から睨まれたくないという気持ちを隠すタテマエであったのだ。

f:id:M-SocioMediaStudies:20180820044523j:plain では逆に、会社のホンネはどのようなものだろうか。E氏はこう話す。

「正直、会社からしたら運動を起こした人は、社に従わない面倒な存在。そんな人を積極的に昇進させたくはないし、やめてもらいたい。しかし、会社は不当な理由で解雇できないため、やめてもらいたい人に対して左遷人事を行います。そうすれば相手からやめてくることになり、会社が解雇したことにならないからです。我々が必要としているのは、粛々と命令に従い結果を出す人であり、たてをつき文句をいう人ではない」

 と、労働者からしたらとても恐ろしいことを考えていたのだ。労働運動を禁止しないが、行えば会社はそれ相応の態度をとる。そして、そうなってしまうことを労働者は知っているため、運動を起こさくなっているのだ。これは、遠回しに労働運動を制限していることに他ならない。まさにこれが、労働運動を減少させた原因であったのだ。

 労働者は、会社で働けるからこそ日々の生活を生きていくことができる。しかし、会社から放逐されてしまえば、明日の生活さえ危うくなる。だから会社にたてをつく真似はやめよう──今回の取材は、そんなホンネが今の労働者の中にあることが確認できた。

「会社問題」から「社会問題」へ

 過去の日本においては、誰もが会社の目を気にせず労働運動を起こし、自分たちの待遇改善や権利を主張していた。まさにこのときが、一番労働者が輝いていたのではなかろうか。だが今の日本は、自分たちの待遇改善と権利を訴えたくても、会社の目によって声をあげることができなくなっている人たちもいる。

 このような現状をどうしたら変えることができるだろうか。それは内部の問題を外部の人に知ってもらうことだ。たとえばSNS上に匿名で会社の現状を訴えて色々な人に共有してもらい、会社内部の問題を社会という外部に引きずりだすことができる。そうしたら会社側は社会の目があるため、労働者の縛り付けが出来なくなり、問題の改善をしなければならなくなる。

 会社は外部からの信用や評価に弱い。なぜなら、それらを失えば会社に多大な損失が出るからだ。だから外部の目をもって問題を訴えれば、会社による縛り付けをなくしていくことができるのではないだろうか。

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*1:五十嵐仁・梅田俊英・川崎忠文・佐伯哲郎・鈴木玲・早川征一郎・横関至・吉田健二「労働争議」『日本の労働組合100年』pp.692-693/1999年/旬報社

*2:同前/pp.394。

*3:厚生労働省『平成28労働争議統計調査の概況』 https://www.mhlw.go.jp/toukei/list/14-28.html 2017年。

*4:厚生労働省「2017年 海外情勢報告」p.87 https://www.mhlw.go.jp/wp/hakusyo/kaigai/18/ 2017年。

*5:同前/p.131。

*6:金属労協鉄鋼労連、造船重機労連、電機労連、自動車総連の金属6単産が行った賃上げを求める産別共闘のこと。集中決戦方式をとっており同時決着、回答引き出し基準の設定を行った。