m-sms 2018

武蔵大学社会学部メディア社会学科2年次:メディア社会学方法論・松谷ゼミによる年刊ウェブマガジン

自転車を共有する時代になるか!?──自転車利用が進む現在

written by 吉田 和希[edited by 松本祐太郎]

自転車の可能性とは

 自動車より小回りが利き、歩くより早く目的地に着く──そんな便利な乗り物が自転車だ。買い物や、通勤、通学と日常生活の足として使われ続けている。最近では、移動手段としてだけでなく、運動不足の解消や、自転車にのって出かけるいわゆるポタリングやツーリングといった、趣味としての一面も持つようになった。

 さらに2017年12月に国会では、自転車利用の推進のための「自転車活用推進法」が可決された。今後自転車がもっと乗りやすい社会になるのではないかと期待されている。このように自転車に新しい風が吹くなか、日本各地で期待され始めているサービスがある。それがシェアサイクルやレンタサイクルといわれる、自転車の貸し出しサービスだ。

 一体どのようなことが期待されているのか、そして浮かび上がってきた問題点や、今後はどうなっていくのか、今回はそれらについてお伝えしていきたい。

自転車を共有するサービス

 皆さんは、自転車の貸し出しサービスと聞くと、名前的にもレンタサイクルが真っ先に頭に浮かぶだろう。ではシェアサイクルと一体何が違うのだろうか。国土交通省によると、明確な違いはまだないそうだ(菊地雅彦「コミュニティサイクル導入の現状と課題」2012年/国土交通省)。

 ただ国交省は、レンタルサイクルを鉄道駅に隣接して作られた1つのサイクルポート(駐輪場のようなもの)を中心とした往復利用を考えている。一方で、シェアサイクルは、街中のいたるところにポートが設置されている。そのポート間であればどこでも乗り降りが自由なのだ。

 借りたところに戻って返す必要のあるレンタサイクルと比べ、自由に乗り降りができるシェアサイクルは、より生活に馴染みやすいだろう。

 そんな2つのサービスは、日々の利用はもちろんのこと、観光地でも活躍することだろう。例えば、京都のような観光地がばらけているところでは、個人営業のレンタサイクルがいくつかある。歩いていくには遠いけど、電車やバスに乗るほどの距離でもない。そんな観光地において、自転車はピッタリの乗り物だろう。

「歩いていけないようなところでも、自転車であれば行くことができる」

 そう話すのは、首都圏のほかに大阪や福岡などでシェアサイクル事業を展開するOpenStreet社の工藤智彰氏だ。実際に同社が展開するシェアサイクルサービス・HELLO CYCLINGは、伊豆や小豆島でも展開しており、電動自転車でのサービスもある。自動車を使うほどではないが、徒歩だと大変な距離だ。そこでちょうど良い交通手段が自転車なのである。特に、見所があちらこちらにある観光地において、真価を発揮している。ちなみに利用料金は、自転車ごとに異なっており、月額費用や、初期費用は必要ない。また、一台ごとに一日の上限金額がある。

 また、レンタサイクルには本格的なスポーツサイクル、いわゆるロードバイククロスバイクを貸し出すサービスがある。その一つが、サイクリストに聖地と呼ばれるほどの人気を誇る瀬戸内海のしまなみ海道だ。アメリカの報道専門テレビ局・CNNで「世界7大サイクリングロード」の1つにも選ばれ、国際的にも有名である(*1)。

 広島県尾道市から愛媛県今治市を結ぶしまなみ海道は、全長70キロ近くあり、途中橋への接続のためにのぼり坂もある。そんなコースを快適に走るために、台湾大手メーカーである「GIANT」が、スポーツサイクルの貸し出しを行っている。こちらでは本格的なスポーツバイクが5時間3000円から借りることができる。

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愛媛県今治市側のGIANTストア。店内には様々なスポーツバイクが並ぶ(2018年8月13日/筆者撮影)。

 他にも、観光サイト・SIMANAMI JAPANによると、一般車のレンタサイクルがある。こちらは島ごとにポートがある。貸し出しポートのある島内であれば、借りたポートと異なるポートに乗り捨ても可能である。別料金がかかるが、島外のポートにも返却が可能であり、気軽にサイクリングを楽しむことができる。

 どちらのサービスも、現地で簡単に借りることができる。そのため、風光明媚な景色のなか、手ぶらでサイクリングを楽しむことができるのだ。

 大小さまざまな島が浮かぶ瀬戸内海を、自転車で風を切って走る。最近注目され始めている、体験型の観光に自転車はもってこいの存在なのではないだろうか。

 観光以外の使用でも、自転車の小回りの良さは期待されている。その一つが災害時の移動手段としての利用だ。エンジンが人力であり、機動性がある上に、仮にパンクしたとしてもすぐに修理ができる。道路が陥没したり、寸断されたりしない限りは、自転車は移動手段としてきわめて優秀な乗り物だ。

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大小様々な島が浮かぶ瀬戸内海は、それぞれ違う風景をみせる(2018年8月13日/筆者撮影)。

 今年の6月18日に起きた大阪地震の際にも、止まった公共交通機関に変わり、人々の足として大いに活躍していた。HELLOCYCLINGでは、大阪地震が起きた数時間後にシェアサイクルの無料貸し出しを始めており、実際に線路沿いでよく使われていた。同社・工藤氏は、「当初、無償貸し出しにすると、戻ってこないのではないかという思いはあった。だが、利用者の方々か使い終わったら返してくれたため、多くの人に利用してもらえた」と話した。今後行政と協力しつつ、災害発生時に医師といった人命救助にかかわる人々が優先的に使えるように、取り組んでいくそうだ。

まだまだ改善が必要か

 そんなシェアサイクルサービスであるが、実情はどうなのだろうか。市場メディアホノテが行った、東京都民1万人に対する調査によると、知っているという人が70%に対し、63%の人が知ってはいるものの利用したことがないと答えている。知られてはいるが、使われていないのが現状のようだ(*2)。

 世界のシェアサイクルサービスと比べても、日本はまだ始まったばかりとはいえ遅れている。特に大きく遅れているのはポートの数であろう。

 たとえば、フランス・パリ市内のシェアサイクルサービス・Velibでは市内に1,800ヶ所のポートが設置してあり、計算上では、300mごとに設置されていることになる(*3)。カナダ・モントリオールのシェアサイクルサービス・BIXIでも市内に540ヶ所設置されている(同前)。

 その一方でNTTドコモと自治体が、2016年5月1日より実験的に始まった自転車シェアリング広域実験も、東京の7区(文京区、千代田区、港区、中央区、新宿区、江東区、渋谷区)で210ヶ所と、国際的に比べても少な目だ。このシェアリングサービスでは、駅等の、近くにポートが設置されており7区内であれば、どのポートでも返すことができる。公共交通機関と連携することで、効率的に移動ができる。料金は、1回会員、月額制、1日パスにわかれているため、使い方によってそれぞれ使いやすい設定になっている。1回会員の場合、最初の30分が150円、その後は30分ごとに100円となっている。月額会員の場合は、基本料金月2000円を払えば、30分以内であれば、何度利用しても無料だ。なお、30分を超えるごとに100円だ。1日パスの場合は、友人の窓口であれば2000円、無人窓口であれば1500円で、買った日の23時59分まで有効だ。また、2016年12月から、セブンイレブンが、協業しており港区の2店舗で、貸し出しを行っている。今後、利便性を上げるために、コンビニでのポート設置が可能になれば、ポート数が大幅に伸び、増設が実現されそうだ。

 そもそもシェアサイクルにおいて重要な点の1つが駐輪場の確保だ。日本の自転車利用台数は年々増え続け、自動車保有台数と並ぶほどになっている。保有台数が増えている自転車だが、自転車基本法により利用について規則が設けられている。駅前の放置自転車は、自治体によって撤去されているのだ。シェアサイクルではそういった、駐輪場の不足を補うために、あらかじめ、停められる場所を提供している。

 だが、日本が海外の真似をすることはなかなか難しいところもある。特に日本の道の狭さは、自転車が走行するのも危険なほどだ。中国のように広い歩道であれば所かまわず、ポートを設置できるだろう。実際に中国では、シェアサイクルサービスが日常的に使われている。

 自転車の安全利用のため、警視庁が定めた「自転車安全利用五則」というものがある(警視庁ホームページ)これによると、自転車は軽車両に分類され、原則車道の左側を走ることになっている。だが、自転車が安全に走る

ために重要な、側道といわれる部分が狭いのだ。拡張しようにも、地権者との交渉が長引き、思うように進んでいないのが、日本の現状だ。

今後自転車利用は浸透するのか

 そのような中、2016年の12月に国会で「自転車活用推進法」が可決・成立した。昨年2月6日の『CYCLESPORTS』の記事にて、同法について触れられていた(*4)。記事では、都内で開かれたサイクリストに向けて、同法をわかりやすく説明するセミナーがあったことが伝えられていた。登壇したのは同法成立の立役者である、NPO自転車活用推進研究会の小林成基氏だ。従来の自転車基本法では、駐輪場の整備など利用の「対策」をする形であった。それが、同法では、「推進」になったことを強調していた。

 自転車活用推進法では、自転車が災害時の機動性や健康増進、交通混雑の緩和、二酸化炭素を出さないエコな乗りものとして見なされている。その利用を総合的・計画的に推進するのが同法である。その内容は自転車専用道路や、シェアサイクル施設の整備、公共交通機関との連携など多岐にわたる。

 今後、同法が浸透すれば、今より自転車は乗りやすくなるだろう。だが、実際のところまだ大きく変わっているようには感じられない。自転車が走るべき、車道を走れるような環境でもなく、シェアサイクルのポート増加も必須だろう。さらに、この法律についても、知らない人が多数を占めるだろう。

 そんななかでも、少しずつではあるが、自転車の、走りやすい環境は整えられつつある。

 例えば、車道の端に設置されている、「自転車ナビマーク」と呼ばれる矢印のマーク。これは、警視庁が自転車の車道通行を促進するために設置したもので、走るべきスペースを確保している。都内の道路において、走りやすい環境が整えられつつあるのだ。

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車道の端に設置されている「自転車ナビマーク」(筆者撮影)

 また、公共交通機関との連携が深まれば、まだ一部の地域でのみ実施されている、電車に自転車をそのまま入れるサービスも、全国的に広がっていくだろう。これにより、自転車観光が大きく後押しされるだろう。

 さらに、自転車通勤を事業者が禁止できなくなる可能性も示唆されている。自転車通勤中に、事故にあった際の労災や休業などの理由から、一般企業のなかには、自転車通勤を快く思わない事業者もいる。また、会社に駐輪場がなく、置く場所がない場合もある。特に都市圏のオフィスであればなおさらだろう。だが、法律では「その他事業者」つまり、自転車活用推進法を進める行政に加え、一般企業も同法に協力するように努力しなければならないとある。そのため、事業者が自転車通勤を認めるようになるのではないかと、小林氏は話している。また同記事において、小林氏は東日本大震災の後に自転車通勤をした人の3割が継続中であることを明かした。今後その数に加え、自転車で通勤する人がさらに増えるだろう。

 では実際にどのくらい進んでいるのだろうか。東京都の環境局に問い合わせてみると、自転車シェアリングサービスは、まだ市区町村単位で行われている状態だそうだ。どこでも気軽に乗ることができるまでは、時間がかかりそうである。都では今後、ポートの増加を見込んでおり、どのくらい増えるかは未定である。

 今後自転車活用推進法案が本格的に動き出せば、ポートの設置数の増加や、道の整備など自転車が走りやすい環境が整えられていくだろう。同法でも、自動車依存の体制から抜け出すことで、交通渋滞の緩和や、環境問題、運動不足の解消など様々な効果が期待されている。

 だが、使用者が増えるということは、同時に事故の増加にもつながるということだ。警察庁の2017年度の事故率の発表を見ると、年々低下している。自転車に限らず、自動車についても減少している。

 利用を促進しているが、まだ、環境が整えられたとは言えない日本の自転車利用の現状。単に促進するだけでは、事故率の増加を招いてしまうのではないか。環境はそう簡単には変わらない。私は移動手段の他にも、趣味で自転車に乗っている。風を切る感覚が気持ちいいのはもちろん、自転車のスピードがちょうどいい。そんな自転車を安全に、気軽に乗れるような環境にするために、行政がやっと動き出した。だが、行政は環境を整えることが限界だろう。逆走や違法駐輪等を、全て監視することは不可能だ。環境が整えられたとしても、自転車を使いやすくするためには、国民一人一人がマナーについて、意識しなくてはならないのではないだろうか。

*1:Peter Walker‘CNN 7best bikeroutes in the world’ 2015年12年24日 CNN Travel

https://edition.cnn.com/travel/article/worlds-best#-cycle-routes/index.html

*2:トコナッツ「東京都民の自転車シェアリングユーザーに調査!47%が『自転車を保有する代わりに利用』」『市場調査メディアホノテ』2017年10月31日/ https://honote.macromill.com/report/20171031/

*3:helpyou_taguchi 「環境に優しく観光促進。自転車(サイクル)シェアリングの市場動向まとめ。」 『シェアリングエコノミーラボ』2018年4月23日  http://sharing-economy-lab.jp/sharing-bicycle-market

*4:斎藤円華「自転車活用推進法でどう変わる??都内でセミナー」「CYCLESPORTS.JP」(八重洲出版) https://www.cyclesports.jp/articles/detail/75010

インターナショナルスクールをあえて選ぶ理由とは──義務教育より国際教育?

written by 野村 紗英+細倉 舞[edited by 平井 良磨]

 

 近年、インターナショナルスクール(以下、インター)に子を通わせる親が話題になっている。どうしてインターに通わせようと考えたのか。一般に学費が高いと言われる私立校よりもインターは高額だ。しかも日本の義務教育を修了したことにもならない。では一体どんなメリットがあるのか。

 本稿では、教育を受ける側からの観点から現状の日本の教育と比較して、なぜインターが選ばれるのか考察していく。

そもそもインターってなに?

 インターナショナルスクールとは、一般的には主に英語により授業が行われ、外国人生徒を対象とする教育施設であると捉えられている。多くは学校教育法第134条に規定する各種学校として認められているが、無認可のものも少なからず存在しているようだ。他には、学教法第1条に規定する学校(以下「1条校」という)として認められたものがある。

 では、なぜインターは義務教育に当たらないのであろうか。学教法第17条では、学齢児童生徒を持つ保護者は、子を「小学校又は特別支援学校の小学部」と「中学校、中等教育学校の前期課程又は特別支援学校の中学部」に就学させる義務があると規定されている。よって、子を1条校として認められていないインターナショナルスクールに入学させたとしても、法律で規定された就学義務を履行したことにはならないのだ。

 学教法においては、小学校等の課程を修了した者が中学校等に進学することを予定している。これは同法第45条で規定されているように、中学校は小学校における教育の基礎の上に、心身の発達に応じて普通教育を施すことを義務化しているからだ。

 このことを踏まえると、例えば1条校でないインターナショナルスクールの小学部を終えた者が中学校から1条校への入学を希望しても、認められないこととなる。その逆に、インターナショナルスクールの中学部の途中で日本の中学校へ編入を希望する場合も同様だ。

 インターの教育・国際バカロレア

 多くのインターには、国際バカロレア(International Baccalaureate、以下IB)という教育システムが存在する。このシステムが導入されている学校では、卒業生へ大学入学資格の付与が認められる。外交官や国際機関の子女が大学に進学する際、円滑に入学できるような共通の入学資格(ディプロマ)を付与する構想が発端となってスタートした。IB教育は公式ホームページによると「より良い、より平和な世界を築くことに貢献する、探究心、知識、思いやりに富んだ若者の育成」を目的としていると書かれている。またその目的を達成するために、以下の10の学習者像を掲げている(*1)。

  • 探求する人
  • 知識のある人
  • 考える人
  • コミュニケーションができる人
  • 信念をもつ人
  • 心を開く人
  • 思いやりのある人
  • 挑戦する人
  • バランスのとれた人
  • 振り返りができる人

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図1:IB教育・10の学習者像(アオバインターナショナルスクールの教室内)

 現在、IBは世界149カ国、4600以上の学校で採用されている。当初はいわゆる高校卒業レベルのディプロマプログラム(以下DP)が整備されたが、その後、幼・小レベルのプライマリーイヤーズプログラム(以下PYP)、中学校レベルのミドルイヤーズプログラム(以下MYP)と、徐々に初等中等教育段階一貫のプログラムとしての整備が図られてきた。DPでは言語と文学(母国語)、言語習得(外国語)、数学など6教科と、コアと呼ばれる3つの必修要件(課題論文、知の理論、造性・活動・奉仕)がある。

 IBはスタートから50年近くが経過し、インターナショナルスクール卒業生への大学入学資格の付与という当初の目的から、大きく発展を遂げている。グローバルな活躍をするために必要な能力が習得でわきる、極めて有効なプログラムとして今では世界中から高く評価されている。しかしながら、日本では適切に認知され、活用されているとは言いがたい。

 日本社会のための義務教育

 では、我々の良く知る義務教育の目的とは一体何であろうか。日本の教育内容は教育基本法によって定められている。その中で義務教育については「各個人の有する能力を伸ばしつつ社会において自立的に生きる基礎を培い、また、国家及び社会の形成者として必要とされる基本的な資質を養うことを目的として行われるものとする」とされている(*2)。

 この条文の通り、義務教育の目的は「国家及び社会の「形成者」として必要な能力を得るためのものである。

 では2つの教育内容を比べてみよう。「世界を変える能力と魅力ある人」を目指すIBの教育と「自立し日本を支える人」を目指す義務教育では、確かに前者が魅力に映るのも無理からぬことだろう。しかし重要なのは実際の教育内容であり、目的はあくまで理想である。

 とはいえ、われわれが経験してきた日本の教育ならいざ知らず、いきなりインターの具体的な教育を理解することはできない。そこでインターの教育を知るために取材に行ってきた。

 インターへの取材から見るインターの教育内容

 取材対象は、 東京都練馬区光が丘駅から徒歩15分ほどに位置しておいる、アオバジャパン・インターナショナルスクールだ。3歳から18歳までの生徒が460人在籍している。そのうちおよそ半分が外国籍の生徒で、残りが日本国籍をもった生徒である。その日本国籍の生徒は、ハーフと日本人が半分ずつだという。全部で46カ国の国籍の生徒が在籍している。

 入学者は国籍を問わず毎年増加する傾向にあり、志願者も毎年10〜15パーセント増加しているそうだ。ここからもインター人気の高まりが窺える。

 取材に行った6月28日は夏休み期間に入っており、通常の授業の様子を見ることはできなかった。しかし、サマースクールが開催されていたため、それを見学をさせてもらった。この学校の校舎は以前公立の小学校だったそうで、それを改修して使っている。そのため、自分たちが通っていた日本の学校に近く、どこか懐かしさを感じる雰囲気があった。

 日本の学校と異なる点は、校内の掲示物が全て英語で表示されていて、聞こえてくる会話も全て英語であることだ。授業の様子も日本と大きく異なっていた。例えば日本の学校であれば、授業は静かに座って先生の話を聞きノートをとるというかたちが一般的であり、それが良いとされている。

 しかしインターは違った。授業中の教室から、生徒たちの声が廊下まで聞こえてくるほどであった。教室の中では生徒の声がひっきりなしに飛び交っていた。高学年ではないが、それでも座って静かに授業を受けられる学年ではあるように見える。日本であれば、問題クラスとして連日職員会議が開かれてもおかしくはない様相だ。

 だが話を聞くと、授業にもよるがこれがどうやら普通らしい。積極的に発言し、自分の意見を述べることが評価され、かつそれが普通であるようだ。

 教室には黒板がなく、その代わりにホワイトボードが設置されていた。ホワイトボードにパソコンの画面を映して授業をする。

 また生徒1人1人が一台のパソコンを持っていて、ほとんどそれを使って勉強している。座席に決まりはなく、好きなところに座ることができる。また1人1つの机があるのではなく、大きい机に何個も椅子が並べてあり、まるで日本の大学のような環境であった。

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図2:アオバジャパンインターナショナルスクールの教室

 授業の内容も日本と大きく異なっていた。日本の教育は暗記が中心と言われている。例えば歴史の授業では年代や人物を暗記して、それをテストする。一方、インターでは暗記に力を入れず、自分が興味あることについて自ら学ぶようにしている。例えば歴史についてなら、課題を出されると自ら対象を決め、対象について調べ、考察して、発表していく。その人がなぜこのようにしたのかや、ほかの国の視点からその歴史を考えてみるなど、様々な方面から理解を深める。ただ覚えるだけではなく、自分で考えてみるという学習法が特徴的である。

 広報担当の瀧本清香さんは「このような自ら興味があることを積極的に調べていく学習法は、子どもたち自身が面白いと感じ、自分で学んでいくことが楽しくなる。視野が広くなり、自分の将来を自分自身で切り開いていくことに繋がる」と語った。

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図3:アオバジャパンインターナショナルスクールの図書室
そもそも低くない日本の教育水準

 ここまではいかにインターの教育が素晴らしいか書いてきたが、日本の教育も決して劣ってはいない。数学系、科学系の国際的な学力調査で日本が上位に入らなかったためしがない。図は国立教育政策研究所「平均得点及び順位の推移」から引用さしたものである。

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図4:国際学習到達度調査における日本の順位の推移(国立教育政策研究所「平均得点及び順位の推移」2015年/https://www.nier.go.jp/kokusai/pisa/pdf/2015/01_point.pdf

 また政策研究大学院大学教授の岡本薫著『日本を滅ぼす教育議論』(2006年/講談社現代新書)では、1990年ごろに出版されていた『ニューズウィーク』誌が「理科教育は日本に学べ」と称賛し、また同時期の国際教育到達度評価学会は「日本の小学校では、実験や身近な事象を通じて、科学的に考える力が養成されている」と高く評価していた、と紹介されている(同書26ページ)。

 1990年とは、ゆとり教育が本格的に動き出す前の詰め込み型教育の時期である。考えてみると理科の実験の授業は何度も経験がある。算数の授業ではただ暗記だけをさせるのではなく、ブロックや時計などが入った算数セットを使って、数字と記号だけの世界を現実に表現して理解の助けとしていた。こう考えてみるとインターほどではないにせよ、思考力もあり学力も高いことが考えられる。図2の通り、日本の数学、科学の成績はまさに上位と言える成績である。

 インターと義務教育の比較

 ここまでで、ようやく考察に必要な前提が出そろったと言えるだろう。ではまずインターのデメリットと言える点から考察しよう。

 第1にインターの学費はかなり高額である。文部科学省の2016年度「子供の学習費調査」によると中学1年間で必要な費用が次のようになる。公立が47万8554円、私立が132万6933円(*3)。これに対し、取材したアオバジャパン・インターナショナルスクールでは学費だけで226万2500円とかなり高額、その上英語が自由に使えない人向けの専用サポートは47万4000円である(注7)。これだけでは他と比べ高いのか安いのか考えようがないので、いくつかのインターを比べてみることにする。どの学校も中学1年相当の年次の1年間の授業料を記載した。

学校名

アオバジャパンインターナショナルスクール

サンモールインターナショナルスクール

聖心インターナショナルスクール

学費(中学1年相当)

226万2500円(*4

251万5000円(*5

209万円(*6

 このサンモールインターナショナルスクールは日本で初めてできたインターである。聖心インターナショナルスクールはその数年後にできた学校で、どちらも古く伝統のある学校である。

 あくまでこれは授業料のみであるが、学習費は少なくともこれらを下回ることはない。これが何年間も続くとなると、普通の中流家庭ではおいそれと入学はできない。

 第2にインターのハードな教育が挙げられる。IB教育の「世界を変える能力と魅力ある人」という目的は、なんら張りぼてではなかった。それ故に授業も厳しく、生徒に多くを求める。相良憲昭・岩崎久美子編著『国際バカロレア』(2007年/明石書店)によると出来が悪ければ小中学生から留年も退学もさせるということが明示されている(同書94ページ)。これを自ら選び糧にしていけるような人ならば、インターはまさにこの上なく素晴らしい教育環境だろう。

 だが現実はそうもいかない。上で紹介したインターの授業方式だが、引っ込み思案であったり、そもそも勉強内容に興味を持てなかったりする子供にとっては、まさにこの世の地獄のような環境だろう。このあたりは少なくとも、言われたことだけをやれば確実に卒業できる日本の学校に救いがある。

 また日本の教育はやらない子に対し厳しく接するが、インターはそれに悪い意味で寛容である。ここに両者の教育目的の違いが顕著に現れている。日本の教育の目的は前出の通り「日本社会の形成者」である。故に出来の低い子であっても、努力をして最低限の形にしようとする。もちろん本人がその思惑を理解するかどうかは別だが。

 さらにいうと、日本の教育の利点の1つとしてあげられるものに結果の平等を重視している点がある。だからこそ、教師や学校は下の生徒をなんとか引っ張り上げようと苦心する。逆に、優秀な生徒のための授業はあまりしない。

 つまり、日本の一般的な学校は、全体をある程度まで押し上げる教育をやっているのである。これに対してインターは明確に「エリート」のための教育を行っている。できる子のための、やる気のある子のための、前に進む子のための教育である。もちろんそうさせるために興味を持たせることをするが、それでも興味が持てない子にはインターという場は何より辛い環境になるだろう。

 高卒程度、大学入学資格であるディプロマを得ることもこの上なくハードである。ディプロマの取得のためには、DPの6教科毎に課題が出る。各教科で論文や筆記・口頭試験、課題作品を作らなければならない。

 『国際バカロレア』の中にインター出身者にインタビューをしている箇所がある。そのなかからいくつか例を挙げると、生物と地理の教科でイギリスの実験施設に行き1週間ほど滞在、そこで川の汚染度や森の木の育ち方、苔のあるなし、海からはなれると植物はどう変わるかなどを調べ何個ものレポートを作ったそうだ。美術の教科では、1人で個展を開かなければならないそうだ。そのために大量の作品を作らなければならず、さらにその1つ1つにしっかりとテーマを決めてそれを試験官に説明しなければならない。第1言語の教科では、10冊以上の文学作品を読みそれについての筆記・口頭試験をクリアしなければならない。しかもこれらの課題の試験や提出、発表は5月のほぼ同時期に始まる(同書84~90ページ)。

 対して日本は、学期末の試験をクリアしていけばまず無事に卒業でき、課題等もほとんど存在しない。これは義務教育云々というよりも、大学受験に対応したシステムである。

 重い対価に見合うインターのメリット

  インターのデメリットを書いてきたが、今度は逆にメリットを考えてみよう。

 まず、英語やその他言語の十分な能力の習得が挙げられるだろう。

 第2に、様々な国や文化の考え方や生き方に直に接することにより、異文化理解が容易となるだろう。そこから様々なアイディアや興味が生まれることもあるだろう。

 第3に、そのハードな教育によって手に入れた思考力、行動力、知識力、そして何より自らの興味関心が今後の人生において強力な武器になるだろう。

 第4に、日本の悪しき習慣に囚われることがなくなる点だ。例えば、日本人は議論が下手だという自他共に認める認識がある。この背景には、大きく2つの要因がある。

 1つ目は日本的な「察する文化」と「年功序列」のせいである。日本では、はっきりモノを言うことが依然として失礼という考え方がある。後者は、年を食った人の方が物を知っていて偉い、なので年下が物知りの年上に対して意見をぶつけるなんて失礼ではないか、という考え方だ。

 2つ目の要因は、根本的に議論の何たるかを知らず、またそれを学ぶ機会も場所もほとんどないという点がある。

 概して、インターの教育のメリットとは、グローバルな世界で活躍のために必要な要素を習得しやすいことである。この結果になるのは単純明快な理由がある。IBの創立目的や教育対象を鑑みれば当然と言える。日本の教育は、国民全員をある程度まで押し上げる教育である。であればこのようなIB教育の結果とは当然離れたものになる。

 

 インターの教育は、決して誰にでも勧められる生易しい教育ではないことがよくわかった。ただ、この環境に耐えうる子ややる気ある子であれば、その力を何倍にも増やし「世界を変えうる人」に成長することも不可能な話ではないだろう。

 反面、教育費は高額で、しかもインターの過酷な環境に打ちのめされて我が子が帰ってくるかもしれない。厳しい世界であり、まさにエリートへの道だろう。

 対して日本は、偉大な成功を収めるための教育ではなく、日本社会の形成者となるよう着実な教育をしてくれる。学力が他国と比べ低いということも決してない。またできない子であっても、日本社会にあった人間になるように学校や教師は尽力してくれるだろう。手堅くやっていく、まさに日本の教育である。

 インターの教育は確かに魅力的に映る部分があり、世間からの興味が高まることも頷ける。ただひとつ言えるのがインターに入ったからグローバル人材になるとか、成功するということも決してないし、ただ子に成功させようと押し付けるのは親のエゴである。そもそもどんな教育がいいかということは、文化や社会によっていくらでも変わりうるものである。重要なのは個人個人とその目的に合わせた教育方法の選択だろう。

 できるとするならば、1人1人にあった教育ができることが、何よりの成功ではないだろうか。

*1:IB公式ホームページ「Mission」https://www.ibo.org/about-the-ib/mission/

*2:文部科学省教育基本法http://www.mext.go.jp/b_menu/houan/an/06042712/003.htm

*3:文部科学省「結果の概要-平成28年度子供の学習費調査」2017年 http://www.mext.go.jp/b_menu/toukei/chousa03/gakushuuhi/kekka/k_detail/__icsFiles/afieldfile/2017/12/22/1399308_1.pdf

*4:アオバジャパンインターナショナルスクール「学費について」
https://japaninternationalschool.com/ja/admissions/tuitions-and-fees/

*5:サンモールインターナショナルスクール「Tuition & Fees」
https://www.stmaur.ac.jp/school/school/tuition-fees

*6:聖心インターナショナルスクール「Tuition Fees」
https://www.issh.ac.jp/admissions/tuition-fees

労働者は斯く語りき──労働者の語るホンネ

written by 木間瀬 玲央[edited by 松本 祐太郎]

 先日、このようなニュースを目にした。

「JR東労組、2万9千人が脱退」(日本経済新聞電子版2018年4月21日付)

 その内容は、JR東日本労働組合が、ベアアップを求める運動を実施すると組合員に通告したところ、脱退者が相次いだ、といったものだ。

 私はこのニュースを見て驚きを感じた。労働運動は待遇改善を訴える上で大事なことだ。しかし、このニュースは労働者がそれを拒否したからだ。では、一体なぜ拒否をしたのだろうか。それを探るべく、労働運動について聞いた。

日本と海外の大きな差 

 まず、基礎的な知識を押さえておく。最初は「労働者」とはなにか、である。

 「労働者」と聞いたらたいていは、働いてお金を稼いでいる人、と考えるだろう。文化的に見ればそれで正しい。だが、法的に「労働者」は定義されている。労働基準法の第9条で「『労働者』とは、職業の種類を問わず、事業又は事務所(略)に使用される者で、賃金を支払われる者」とされている。簡単に説明すると、会社に勤めてお金をもらっている人が「労働者」である。法律の内容も、一般的に考えられている「労働者」と同じなのだ。

 しかしそこは法律、もっとこと細かに定義している。そのキーワードが「使用従属性」という聞きなれないものだ。これは条文にでてくる、「使用される者」、「賃金を支払われる者」と二つの言葉を合わせたものだ。簡単に説明すると、ちゃんと設備のある会社の下で働いていて、その対価として生活費となるお金をもらっているか、というものだ。このようなことを総合的に見て、法律は「労働者」かどうか判断している。

 次に、日本における労働運動の歴史や現状を押さえておこう。日本における歴史は意外に古く、1886年まで遡る。この年、山梨県甲府市の雨宮製糸場の女工100名あまりが、待遇改善を要求してストライキをしたのだ。これをきっかけとし、日本の労働運動の歴史が始まった。

 20世紀に入ると、労働運動は火山の噴火のような激しさを見せた。特に戦前から戦中にかけて、造船所などの重工業系の企業で労働運動が多発した(*1。しかし大半が失敗、または軍により鎮圧されており、過酷を極めたものであった。

 だが戦争が終わり、国の抑圧がなくなった1946年には、実に662件の労働運動がおき、51万人ものひとびとが参加した(*2。まさに戦前のうっぷんを晴らすがごとくの勢いだ。その後も発生件数は雪だるま式に増えていき、1974年には、実に5197件も生じた。労働者の数も膨大で、362万人が参加した(*3)。

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比較対象の英米の労働運動発生件数及び人数に半日以下が含まれていないため、半日以下を含めず。

 しかし、この年を境に急速に鈍化していき、2016年には31件までに減少してしまった。

 このように日本では労働運動が減少してしまったが、海外ではどうなのだろうか。実は、その減少は世界的な傾向だ。

 たとえば、世界1位の経済大国であるアメリカでは、意外にも発生件数は日本よりも少なく、2016年にはたった15件にとどまる(*4)。また2016年以前も日本より少ない。

 しかし、参加人数は日本より多い。日本の2016年の労働運動発生件数は31件であるが、参加人数は2383人であり一件あたりの平均は76人だった。一方アメリカは、15件の労働運動において9万9000人と多く、一件あたりでは平均6600人と、日本の約86倍の労働者が参加している。

 なぜ、日本とアメリカにおいてこれほど参加人数に開きがあるかというと、日本の労働組合は企業別に組織されるのに対し、アメリカでは職能別や産業別に組合が組織されるからだ。運動に企業を超えた多くの組合員が参加するために、必然的に参加人数が多くなる。

 次に労働運動発祥の地であるイギリスを見てみよう。

 最初の運動は日本より75年早い、1811年に発生した。ラッダイト運動と呼ばれるものだ。産業革命が急速に進む当時、女性や子どもの劣悪な環境での労働が問題視され、その改善を訴えたものだ。このときは政府の弾圧を受けて失敗したが、労働運動という概念をひとびとに植えつけた。

 そして、その後も数多くの労働運動が発生し、1970年代には年平均2000件にものぼった。だが発生件数は減少しており、2016年現在では101件しかない(*5)。

 しかし、イギリスもストライキの規模大きい。たとえば、2011年には待遇改善を訴えて、公務員が大規模な労働運動を展開した。なんと、そのときは153万ものひとびとが参加した。この数は神戸市の人口とほぼ同じだ。100万を超える労働者が参加する運動は日本では1976年のJC集中決戦での135万人以降一度もない(*6)。

 このように、イギリスでは労働者は必要であれば運動し、けっして否定しないのだ。

 欧米と日本の違いはここにある。それを踏まえれば、今回日本で起きた、労働運動を否定して組合員が大量脱退した出来事はとても異質なものに見える。

 では、なぜ日本でそのようなことが起きたのか。これは、日本では労働者の運動に対する考えが変化しているとしか考えられないのではないか。そこで私は実際に、某グループ傘下の企業の4人の労働者と会社側である役員に労働運動に対する考えを聞いた。

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あくまでも「お客様第一」

「面倒くさいから関わりたくない」とA氏(30代女性)は語った。

「個人の自由だからやるのは構わないが、その人のせいでお客様や会社側から悪く思われるので、ふざけるなと思う」

 労働運動は達成するために多くの時間をかける上に、組合から行動を制限される、さらに会社を利用する顧客に迷惑をかける。そのことを考えれば面倒くさいと思うのは、うなずくことができる話だ。

「歴史でしか見ていないが、あれだけ混乱をおこした労働運動がいまだに日本で31件もおこっていることに驚いた」

 こう話したのは、B氏(20代男性)だ。彼は労働運動をする意味に疑問を持っていた。

「正直、こういったことはお客様からしたら迷惑だし、労使交渉もあるからメリットが少ないと思う。自分だったら絶対にしない」

 たしかに労働運動は混乱を巻き起こしてきた。鉄道会社がたびたびストライキをして、利用客の通勤や通学に支障をきたしたり、交通機関が停止したため試合やイベントが中止になったりすることがあった。そのため運動に対する疑問が生じ、現在まで続いているように思える。

 だが、3人目のC氏(30代男性)は少し違った。

「よっぽど待遇がひどくて、運動をしないと会社側が動かないならやる」と労働運動を否定的に見ていなかった。しかし──

「だけど、運動をするときは、昔のように自分たちのことだけを考えるだけでなく、お客様のことを考えてする必要がある」と、あくまで「お客様第一」の姿勢は崩さなかった。

 ここにきて私は、労働運動に対する考え方がどう変化したのか見えた。3人とも客のことを考えていたのだ。周りを見ないで自分たちの要求を通す考えから、他者の、さらにいえば、客のことを考えるというものに変化していたのだ。

 D氏(40代男性)は「今回のJR東日本のようなことが起きたら、僕もやめていると思う」と語る。

「へたに運動をしたら、ご利用してくださるお客様に迷惑がかかる。だから、安易にするのはちょっと違うと思う」と、やはり顧客のことを第一に考えていた。

 逆に会社側はどう考えているのか聞いた。

「労働運動は労働三法によって認められているが、行使については慎重にならなければならないし、乱用してはいけない」と、役員のE氏(50代男性)は語る。

 さらに、「あくまで、待遇改善を訴える手段であるのに、労働運動をすること自体が目的と化していることがある」と手段と目的のすり替えを指摘した。

「今回のJR東日本の件も、待遇は悪くないのに労働運動を起こそうとしたものであり、まさしく手段が目的化してしまった事例だと思う」

 たしかに、今回のJR東日本の出来事は、高給取りがさらに高給を要求したという批判がある。それを思えば、JR東労組は労働運動を起こすことを目的にしていたように見える。なので、手段が目的化してると感じた組合員たちが、大量に離脱したのではないだろうか。

「それに忘れてはいけないことが、あくまで労働運動は最後の切り札であるということです」と、E氏はその存在価値について言及した。

 労使交渉は、組合と会社が賃金や労働時間、雇用の維持などについて話し合うことだ。ここで交渉が決裂したときに、最後の手段としてストライキなどの運動を起こすことが一般的だ。

「そのことを考えていなかったために、昔は頻繁にストライキが起きていたのだと思う」と、運動が頻発していた理由について考察していた。それに嫌気がさして、考え方が変化したと考えることができる。

「そして一番大事なことがお客様のことです」と言う。

「労働運動のことばかり考えすぎて、絶対にお客様をないがしろにしてはいけません。たとえ労働運動が成功して待遇がよくなっても失われたお客様の信頼は返ってこない。そのほうが結局重大な損失を被ることになる実際、労働運動を乱用してお客様の信頼が損なわれた国鉄の例もある」

 たしかに、国鉄ではあまりにストライキをしたために、乗客が上尾事件(1973年3月13日)や首都圏国電暴動(1973年4月24日)を起こした。それほど、怒りが大きかったのだ。

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 最近では日本の労働運動の状況を嘆いて、もっと運動をしろといった声も耳にする。しかし、この意見にE氏は苦言を呈した。

「労働運動は誰かに命令されてやるものでないし、やるやらないは各々の自由です。しかし、自分たちのことだけを考えて行うことは、言い方は悪いかもしれないがただの暴動となってしまう。『もっと運動をしろ』という意見は、わかっていないような気がする」

 誰かにやれと言われてやるのは、そもそも労働運動のあり方に反している。さらに、顧客のある程度の理解がなければ意味がないものとなってしまうのだ。

 また、労働者側からも苦言が相次いだ。

「労働運動をもっとしろという意見を言っている人は、待遇の改善を望んでいるというより、運動が起こること自体を望んでいるように思える」(A氏)

「労働運動が多ければ多いほど立派みたいな、数を重視しているようにしか思えない」(B氏)

「大事なのは数じゃなくて内容。中身が薄いものが多くてもなにも意味はないと思う」(C氏)

「労働運動が少ないことは、裏を返せば、待遇が改善されてお客様のことを考えている企業が多いことの証明になると思う。だから、多いのが必ずしもいいことではない」(D氏)

 まさに彼らが語ったことは、労働運動は目的ではなく手段であり、大事なのは運動を起こすことや数が多いことではなくその内容と顧客のことを第一に考えることであった。この考えが、運動減少の理由なのだろうかと思った。

隠されていたホンネ

 しかし、実は一つ気になることがあった。それはD氏が、「お客様に迷惑がかかる」と話す前に「へたに運動に参加して、会社から目をつけられたくない」と言っていたことだ。

 たしかに労働運動は会社に反抗することであり、行えば会社からあまりいい印象を持たれなくなる可能性もある。そう考えると、実は客が第一の考えはタテマエで、会社から目をつけられたくない気持ちが、ホンネではないだろうか。そこでさらに踏み込んで、話を聞いてみた。

 そうしたらA氏が、こう話した。

「お客様第一は嘘ではないが、本当は会社から睨まれたくないほうが理由として大きい。会社から睨まれたら、昇進は出来なくなるし最悪、人事異動で左遷されるかもしれない。ほとんどの人は、私と同じように考えていると思う」

 まさしくこれが、ホンネなのだ。会社から睨まれたら、立場が危うくなるのではないか。このような考えが芽生えたからこそ、労働運動が減少したのではないだろうか。

 同様にB氏も話した。

「お客様のためにやらないと話したが、本当は会社から睨まれたくない。もちろんお客様のことを考えているが、それが一番の理由というわけではない」

 と、やはり会社からの目を気にしていた。さらに客が第一はタテマエであったことがわかった。

 そしてC氏は「前にも話したが、本当に待遇改善してもらわないと生活が厳しくなるなら運動をするが、普通は絶対しない。お客様のためといったけど、本当は自分の会社での生活のためもある」と話した。最初は客のためと語ったが、実はそれはホンネではなく会社から睨まれたくないという気持ちを隠すタテマエであったのだ。

f:id:M-SocioMediaStudies:20180820044523j:plain では逆に、会社のホンネはどのようなものだろうか。E氏はこう話す。

「正直、会社からしたら運動を起こした人は、社に従わない面倒な存在。そんな人を積極的に昇進させたくはないし、やめてもらいたい。しかし、会社は不当な理由で解雇できないため、やめてもらいたい人に対して左遷人事を行います。そうすれば相手からやめてくることになり、会社が解雇したことにならないからです。我々が必要としているのは、粛々と命令に従い結果を出す人であり、たてをつき文句をいう人ではない」

 と、労働者からしたらとても恐ろしいことを考えていたのだ。労働運動を禁止しないが、行えば会社はそれ相応の態度をとる。そして、そうなってしまうことを労働者は知っているため、運動を起こさくなっているのだ。これは、遠回しに労働運動を制限していることに他ならない。まさにこれが、労働運動を減少させた原因であったのだ。

 労働者は、会社で働けるからこそ日々の生活を生きていくことができる。しかし、会社から放逐されてしまえば、明日の生活さえ危うくなる。だから会社にたてをつく真似はやめよう──今回の取材は、そんなホンネが今の労働者の中にあることが確認できた。

「会社問題」から「社会問題」へ

 過去の日本においては、誰もが会社の目を気にせず労働運動を起こし、自分たちの待遇改善や権利を主張していた。まさにこのときが、一番労働者が輝いていたのではなかろうか。だが今の日本は、自分たちの待遇改善と権利を訴えたくても、会社の目によって声をあげることができなくなっている人たちもいる。

 このような現状をどうしたら変えることができるだろうか。それは内部の問題を外部の人に知ってもらうことだ。たとえばSNS上に匿名で会社の現状を訴えて色々な人に共有してもらい、会社内部の問題を社会という外部に引きずりだすことができる。そうしたら会社側は社会の目があるため、労働者の縛り付けが出来なくなり、問題の改善をしなければならなくなる。

 会社は外部からの信用や評価に弱い。なぜなら、それらを失えば会社に多大な損失が出るからだ。だから外部の目をもって問題を訴えれば、会社による縛り付けをなくしていくことができるのではないだろうか。

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*1:五十嵐仁・梅田俊英・川崎忠文・佐伯哲郎・鈴木玲・早川征一郎・横関至・吉田健二「労働争議」『日本の労働組合100年』pp.692-693/1999年/旬報社

*2:同前/pp.394。

*3:厚生労働省『平成28労働争議統計調査の概況』 https://www.mhlw.go.jp/toukei/list/14-28.html 2017年。

*4:厚生労働省「2017年 海外情勢報告」p.87 https://www.mhlw.go.jp/wp/hakusyo/kaigai/18/ 2017年。

*5:同前/p.131。

*6:金属労協鉄鋼労連、造船重機労連、電機労連、自動車総連の金属6単産が行った賃上げを求める産別共闘のこと。集中決戦方式をとっており同時決着、回答引き出し基準の設定を行った。

車を必要としない若者たち──大学生が若者の車離れについて考える

written by 野村 紗英[edited by 清水 千勢]

「車に乗らないから免許はいらない!」と話す若者が増えている、というニュースを目にした。私もその考えを持つ一人だ。

 近年、「若者の○○離れ」が問題になる傾向がある。その中でも車離れが多く取り挙げられるが、本当に若者の車離れは起こっているのか、大学生の筆者が考える。

若者の車離れの定義

 若者の○○離れと多く取沙汰されているが、「若者」とされる対象の年齢は厳密に定められてはいない。ここでは若者の年代は、車の免許を取れる18歳から30歳までとする。

 警察庁交通局運転免許課は、運転免許保有人口の調査をした。そのところ20代から70代のうち、20代が2番目に少なかった。 この結果は若者の車離れを決定づけるものになったであろう。

 若者の車離れと言われ始めたのは一説によると2000年代である。

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 このグラフは「自動車に興味や関心がある」と答えた性別・年代別の比率を表したものである。2001年から2009年にかけて男女ともにガクンと下がったのは、1991年に起こったバブル崩壊の影響だと考えられる。バブルの頃は若者に限らず、良い車を持っていることがステータスであった。女性は車で送り迎えをしてくれる男性のことを「アッシー君」と呼んで重宝するほど、車を保有していること付き合う男子を選ぶ際に大切な条件であった。しかしバブルの崩壊により、車の有無より安定を求める声が男女問わず、10年間でだんだんと強まった。そのため、バブルの崩壊である1991年から10年経った2001年以降に特に大きく影響が出たと考えられる。

 バブル期はスーパーカー輸入車のブームでもあった。景気が良かったので、たくさんの人が高い車を保有していた。実際に私の家庭でも、『ハマー』というアメリカ産の車を保有していたという。

現代の若者の考え

 バブル期と比べると、今の若者の考えはどう変化したのか。生の声を聴いてみることにした。今回インタビューをしたのは、免許を保有していない大学2年生の男子である。彼は「車を使わないから一生免許をとらない!」と断言する。理由を聞くと、「都内に住んでいる限り、大体の場所は電車で行けるし、都心には駐車する場所が少なく地方より都内のほうが駐車にお金もかかってしまう」と話す。私も彼と同じ考えで車の維持費を考えると電車の運賃が安く感じる。

 もう一人、大学2年生の女子にインタビューをしてみた。彼女は免許を取るために、教習所に通い始めたばかりだ。どうして免許を取得しようと思ったか聞いたところ、「就職に有利だと思う、将来どこに住むことになっても、車が運転できれば楽だから」と答えてくれた。就職活動で役立てようという考えは現代の若者ならではだと思う。

 13歳のハローワークが発表した「なりたい職業ランキング」 では、2位に金融業界、6位に公務員など、小学校を卒業してすぐの中学生が考えたとは思えないような現実的な回答が目立った。安定を求めるようになった若者の平均年齢が年々下がってきているといえる。こういった背景のもと安定を求め、スーパーカー輸入車に手を出すものは減少したと思われる。

 車の保有率が減った現代には、いろいろなサービスが存在する。日本での主なサービスはカーシェアリングである。カーシェアリングとは、登録を行った会員間で特定の自動車を共同使用するサービスである。レンタカーに近い存在であるが、ごく短時間の利用を想定しており、利用者にとってはレンタカーよりも便利で安価になるように設定されている。

 このグラフはカーシェアリング会員数を示したものである。2010年から2017年にかけて会員数が大幅に急増している。車の保有率の低下に反比例して、車を保有せずにカーシェアリングという形で車を利用する人が増加したと読み取れる。上記の分析で把握できた若者の自動車への興味や関心の低下により、自動車は購入するのではなく、必要な時に必要な分だけ利用できるサービスの供給が今後も続くと予測できる。カーシェアリングより既に馴染みのあるレンタカーの利用も増加しているが、比較できないほど普及の勢いは留まるところを知らない。

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 さらには、アメリカで「Uber」というオンライン配車サービスが生まれた。一般のドライバーが空き時間と自家用車を使って行なうタクシーのようなサービスである。アプリでヒッチハイクをするようなものだ。簡単に車を手配でき、決算までアプリで行なうため、料金がぼったくられる心配もないため安心さと手軽さが受け、カーシェアリングの普及とともにサービス地域が拡大している。現在、すでに世界70か国・450都市以上で展開されている。このアプリがある国ではタクシーの需要は減少する一方だろう。車の利用の多様化はここまで進歩してきたのだ。

若者の車離れが存在しない未来

 今後、車の利用の方法はさらに多様化し、技術が進歩して車を運転するのがロボットになるかもしれない。そんな未来には、「若者の車離れ」という言葉はもう存在しないだろう。そして若者は車から離れているのではなく、“車の保有”から遠ざかっているのである。

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パートナーの見つけ方──ペットの未来を守るために

written by 藤田 光咲[edited by 木間瀬 玲央+松本 祐太郎]

 私は子供の頃から犬や猫に囲まれて生活をしている。恐らく、ペットと共に暮らしている家庭は多いであろう。では、そのペットはどこから入手したのだろうか。私は、動物愛護団体から譲渡を受けた。他にも、ペットショップでの購入など選択肢が複数ある。今回は、動物愛護団体とペットショップのそれぞれの良さ、問題点を比較しながら見ていきたいと思う。

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ペットを思うからこその厳しさ

 まず、実際の入手先を確認していきたい。

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 これを見ると、犬や猫もペットショップからの入手が多く、動物愛護団体の利用率は低い。そこが問題点であると動物愛護団体・わんずぺ~す代表の鈴木三枝さんは指摘する。

 では、なぜペットショップでの購入を選ぶのか。それは、愛護団体の譲渡条件の厳しさにある。例えば、高齢者。65歳以上だけの家族はお断りしている団体が多い。何かあった場合を考えているのだ。だが、そういった厳しさによって、団体からの譲渡を諦める人が多い。

 しかし、鈴木さんは、後見人がいれば考慮する形をとっている。他にも「セーフティーネット」をつくる検討をしている。あらかじめ飼い主がお金を愛護団体に託し、もし飼うことが難しくなったときに、団体が面倒を見る制度である。高齢化社会に合わせ、臨機応変な対応をとるよう心がけている。

 逆に、ペットショップで購入し、もしものときがあったらどうするのだろうか。高齢者は特に、今だけでなく先のことを考えなければならない。ペットファーストで考えると厳しい譲渡条件は当たり前である。

愛護団体とお店のフォロー

 動物愛護団体には、ペットショップのような手軽さはない。しかし、トライアル期間を設けている。2週間ほどペットを家で預かり、お試しに飼うことができる期間である。先住ペットとの相性は合うか、ペットが手に負えるか、アレルギー反応はでないかを確認できる。また、里親側が飼育者として好ましいかを判断できる。お互いの合意を得るのだ。

 この期間後、子犬が返ってくる率が高いと鈴木さんはいう。子犬はコロコロしていてかわいい。ところが、無駄吠え・夜泣き・甘噛みが多い。また、トイレ・散歩の仕方、社会性を身につけさせるなど1からしつけをする必要性がある。

 ペットショップはこの期間を設けていない。そして、一度、契約書に記入してしまうと、返すことができない。特に、安易な気持ちで購入した人が心配である。

 さらに、ペットショップには、子犬が多い。この2つの点に対して、なにか対策はしているのか。都内のあるペットショップでは、犬の知識をしっかり得ていて、無駄吠えの対処法、トイレトレーニングの仕方などを教えていた。また、アフターフォローとして、1ヶ月に1回、トレーナーを店に呼び、しつけ相談会を開催している。マンツーマンで指導を行っているので、一匹一匹に合ったアドバイスを受けることができる。トライアル期間の存在を補おうとする努力がみられた。

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ひとつの命と付き合っていくこと

 動物愛護団体とペットショップ、かたちは違うが、どちらからも、ペットの幸せを願う気持ちが伝わってきた。

 世間では、ペットショップは悪いイメージをもたれがちだ。私も、そうであった。ところが、実際に行ってみると、店舗によるかもしれないが、意外に対応がしっかりしていた。命あるものを売り物として扱っている点が気に入らないという気持ちはある。だけれど、需要がある限り、ペットショップは存在し続ける。むやみに否定するのは良くない。

 しかし、ペットショップで購入をする場合、高齢者は、自ら後見人をたてる必要がある。自己責任がより問われることになるのだ。

 ここで、私は1つ伝えたいことがある。動物愛護団体にいる犬や猫を“キズモノ”として見ないでほしい。確かに、団体にいるペットは、何かしらの事情で捨てられた動物である。一部ではあるが、飼い主に捨てられた、虐待を受けたなどが原因で、心に傷を抱えている。私が飼っている、団体から譲渡された犬も、最初は人間不信であった。しかし、向き合っていくうちに、心を許すようになった。結局、一番大切なことは、飼い主の愛情なのである。

 団体は、里親に犬猫を送り出すと、また新しい命を救うことができる。私は、皆さんに団体の手助けをしてほしい。

 しかし、どこでペットを入手するかは、自由である。ペットショップで購入を決めた人は、店を見極めてほしい。店によって、アフターフォローがあるか変わってくる。また、店員の対応をよく見てほしい。動物の知識があるか、親身になって考えてくれるか、売りつけてこないかを。

 ペットのことを守ることができるのは、あなたしかいない。信頼できる場所で、一生のパートナーを見つけてほしい。